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2005.12.03

僕の昔の備忘録-学校と私:管理教育に窒息しそうだった=弁護士・紀藤正樹さん-

昔のことは思い出したくないことあって、LINC本体の自己紹介ページにも少し触れていますが、あえてマスコミの取材を避けてきました。

ところがある機会に避けられなくて、毎日新聞からの取材を受けて答えました。こうした取材を受けることはほとんどないこともあり、とりあえず僕の備忘録です。


リンク: 学校と私:管理教育に窒息しそうだった=弁護士・紀藤正樹さん-教育:MSN毎日インタラクティブ.

学校と私:管理教育に窒息しそうだった=弁護士・紀藤正樹さん

 頭を思い切り殴られた。教室が静まり返る。高1の秋。自転車で校門に入る直前、規則の制帽をかぶっていないのを男の先生に見とがめられていた。「教育委員会に訴える」。思わず口走った。管理教育に窒息しそうだった僕が、その時初めて、学校と対峙(たいじ)した。

 弟と2人兄弟。海と山が近い宇部で生まれ育った。幼いころは、動物園や水族館に行くと看板の前でじっと動かない。説明を読み、納得しないと次に進まない、何にでも興味を持つ子供だったらしい。

 小中学校時代は、学校を終えれば友だちと海釣りをしたり、山で遊んだ。瀬戸内海の遠浅の島へ4人で行き、おぼれかけたことがあった。つかまり合い、浜辺まで500メートルを流れ着いたが、危なかった。山に方位磁石を持たずに入り、遭難しかけたこともある。死を近くに感じながら、生き延びた場面は少なくない。

 中学入学後は、小遣いで参考書を買うため新聞配達もした。昔の炭鉱街は、不器用な大人や子どもが少なくなかった。5歳下の弟と自転車に乗っていて、ぶつかりかけた若者がいきなり殴りかかってきたり、自転車の部品が抜き取られたりした。取り返すと、少年がぬけぬけと家に押しかけてきた。

 中卒後は働き、街を出ようと思っていたが、高校に受かった。制帽の件で刃向かって以来、先生は何も言わなくなった。それからは好きな授業だけ出る自主登校で過ごした。正しかったのか分からない。でも、心底おかしいと思ったことには徹底して向き合う、始まりとなった気もする。

 心の中の故郷は、例えて言えば漫画の「じゃりン子チエ」の世界。一般の人にはノスタルジーでも、暮らしていた人間にとっては抜け出したかった場所だ。管理されるのが苦手な自分が生きていく時、身を守るため法律を学ぼうと思った。

 悪徳商法などの被害者の弁護にその後かかわり、人間の弱さを何度も目の当たりにした。その姿は、自分とどこかでつながっていた。弁護士になったのは、弱さと向き合い、踏み出すためだったのかもしれない。<聞き手・野倉恵>

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 ■人物略歴

 1960年山口県生まれ。大阪大法学部卒。90年弁護士登録。悪徳商法やカルト問題、インターネット被害にくわしく、日弁連消費者問題対策委員会副委員長。児童虐待問題にも取り組む。

毎日新聞 2005年11月28日 東京朝刊

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コメント

先日は、御馳走様でした。

> 「教育委員会に訴える」

結局、本当に訴えたのですか?

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