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2012.01.03

オウム真理教事件:平田信容疑者と假谷さん拉致殺害事件との関わり #aum #cult #religion 2014年3月6日更新

2011年1月1日の平田信容疑者の任意出頭と逮捕が報じられていますが、同容疑者と假谷さん拉致殺害事件との関わりについて、以下、概略をまとめておきます。

平田容疑者にとっては、最低限、以下の容疑がかかっており、平田容疑者が、過去にきちんとけじめをつけ、オウムと決別を付けるかは、オウム事件についてのすべての事実関係につき、同人が正直に話すことが必要となってきます。そして、このことが、唯一かつ真の被害者への謝罪と慰藉につながるのだと思います。

平田信に対する麻原彰晃こと松本智津夫に対する東京地裁平成16年2月27日判決の事実認定から、以下、引用

「假谷事件」部分のみ引用 

ⅩⅡ 假谷事件

[第1(逮捕監禁致死)の犯行に至る経緯]

 1 假谷清志は,平成7年2月当時,東京都江東区内の自宅に居住し,東京都品川区の目黒公証役場に事務長として勤めていた。假谷の実妹である仁科愛子は,昭和62年,夫から公証役場が1階にある建物及びその敷地等を相続し,その2階に居住していた。

 2 仁科は,平成5年10月ころ,ヨーガ教室で知り合った教団信者のヨーガ指導者に誘われ,健康のためにヨーガ修行をすることとし,教団の在家信徒となり,東京総本部道場に通うようになった。仁科は,東信徒庁長官の飯田エリ子らから布施を勧められ,平成7年1月20日ころまでに教団に合計約6000万円の布施をし,そのうち4000万円は同月20日ころ直接被告人に手渡し,その際,被告人から,早く出家するよう言われた。飯田や○○○○○○は,被告人の意を受け,仁科を出家させて仁科方土地建物を含む資産すべてを布施として教団に拠出させるため,仁科に対し執ように出家を勧め,薬物を使用したイニシエーションを施すなどして,出家することを同年2月中旬ころ承諾させ,その後は,仁科を出家前の信者として東京総本部道場に寝泊まりさせ,信徒対応の上手な中村昇に仁科と面談させるなどして全財産を教団に拠出するよう働き掛けた。仁科は,假谷やその家族らに譲るつもりであった仁科方土地建物を含めすべての財産を教団に取り上げられてしまうことを危惧するなどしていたところ,同月24日,友人を入信させるために強羅に行くと言い置いて東京総本部道場を出,教団に連絡することなくその日は知人方に,25日と26日は假谷方に,27日は別の知人方に泊まり,その間假谷や知人らと話合いをするなどして悩んだ末,後記のとおり,同月28日午後5時ころ,東京総本部道場に電話し,教団に出家するのをやめる旨○○○に伝えた。

 3 ○○○は,同月26日,仁科が2日間も東京総本部道場に戻らず連絡もないため,中村昇や飯田にそのことを報告した。中村昇及び飯田は,仁科から従前仁科方土地建物を実兄ら親族に譲渡する約束があると聞いていたことから,仁科の親族が仁科方土地建物を布施されるのを阻止するために仁科をらちした可能性があると考え,CHS大臣の井上に仁科を捜す手伝いを頼んで井上の配下の松本剛や平田悟をよこしてもらい,同日から翌27日にかけての深夜,公証役場の様子を見にいくなどしたが仁科の所在を突き止めることができず,被告人に電話でその旨連絡した。
 中村昇,飯田及び○○○らは,同月27日昼ころ,公証役場の付近まで車で行き,○○○が,様子を探るために公証役場に行った。○○○は,公証役場から戻ってきて,中村昇や飯田に「仁科さんはいますかと聞くと,仁科の兄と名乗る人が出てきて『ここには愛子はいません。随分前から帰っていない。何の用ですか。』と言って,不審がるような感じで話をしてきた。その人の態度は不自然だった。」などと報告した。中村昇と飯田は,それを聞いて,假谷が仁科の居場所を知っている可能性が高いと考え,假谷を見張っていたところ,假谷がボディガードらしい男性と公証役場から出てきたのを見て,これを尾行したが見失った。
 中村昇と飯田は,その後合流した井上にそれまでの事情を説明した上,假谷の様子から,假谷が仁科を監禁している可能性が高いなどと訴え,假谷から仁科の居場所を聞き出すためにどうしたらいいかなど今後の対応について協議した。井上は,公証役場を案内された後,中村昇を車で東京総本部道場に送ったが,遅くともそれまでに,中村昇は,井上との間で,假谷をらちして仁科の居場所を聞き出すしかないのではないかという話をした。

 4(1) 被告人は,同月27日から翌28日にかけての深夜,第2サティアン3階の第2瞑想室において,村井,新實,井上,中村昇,飯田や各支部の支部長ら数十名を集めて信徒対応責任者会議を開いた。飯田と中村昇は,その会議が終了した直後,被告人に仁科の居場所は分からなかったと伝え,假谷を尾行した状況やその際の假谷の不審な行動,すなわち,○○○が公証役場に行った際仁科の兄と名乗る假谷が出てきて愛子はいないと言って不自然な態度であったこと,その後假谷は銀行や喫茶店に立ち寄ったが喫茶店では何も注文をせず電話をしただけで店から出るなど不自然な行動をとっていたこと,假谷は公証役場から帰る際女性とボディガードらしい暴力団員風の男性を連れていたこと,假谷が仁科を監禁している可能性があることなどについて説明した後,仁科の居場所を聞き出すため假谷をらちして聞き出す方法もあると思う旨報告した。被告人は,仁科が出家して多額の布施をすることになっていたのに同女がいなくなりそれが難しくなったことから怒り,飯田に,「おまえがたるんでいるんだからこんなことになるんじゃないか。東信徒庁の活動も落ちているじゃないか。」と言ってしっ責し,さらに「そんなに悪業を積んでいるんだったらポアするしかないんじゃないか。」などと言って飯田らの言う假谷のらちだけでは済まされず,同人を殺害しなければならないほどの重大な問題であることを指摘した。被告人は,その際村井から耳打ちされるなどして,これまで違法行為に関与したことのない信者も周りにいたことに気づき,「ポア」という言葉を撤回する趣旨で「じゃ,おまえたちの言うようにらちするしかないんじゃないか。」と言い,さらに「らち」という言葉も適当でないと直ちに思い直して「ほかしておこうか。」などとぼやくように言って部屋を出ていき,関係者だけで仁科の件について話を続けるため,隣の「尊師の部屋」と呼ばれている瞑想室に移動し,村井,井上,中村昇及び飯田らも被告人に続いて尊師の部屋に入った。
 (2) 被告人は,假谷をらちし,麻酔薬を投与して半覚せい状態にし潜在意識に働き掛けて会話をする「ナルコ」を假谷に実施して仁科の居場所を聞き出そうと考え,尊師の部屋において,井上及び中村昇に対し,假谷をらちしてナルコを実施し仁科の居場所を聞き出すように命じた上,更に具体的に,武道の得意な中村昇と井田喜広が中心となって假谷をらちすること,假谷のボディガードに対しては村井の開発したレーザー銃を使って目をくらませることとし,その役は以前レーザー銃を使ったことのある平田信にさせること,そのほかCHSの信者にも手伝わせること,医師資格のある中川が假谷に麻酔薬を注射して眠らせ上九一色村まで連れてくることなどを指示し,井上及び中村昇はこれを承諾した。

 5 その後,中村昇は,電話で平田信を呼び,村井や井上を交えてらち計画について話をし,レーザー銃のバッテリーの充電に時間がかかることから,平田信はそれを終えて東京で合流することとした。また,中村昇は,井田が早川の部下で自分で運転のできる中田清秀の運転手をしていることを知り,その旨被告人に報告したところ,被告人は早川を呼び,運転手を中田に付けたことをしかり,井田を早く戻して中村昇に渡すよう指示した。
 井上は,第6サティアン2階で被告人の指示に基づき修行に入っていた中川にらち計画を説明し,東京でらちを実行する際相手を麻酔で眠らせてくれるよう頼んだ。中川はこれを了承し,全身麻酔薬である筋肉注射用のケタラールと静脈注射用のチオペンタールナトリウムのほか,注射器,点滴セット等を用意して東京に向かった。

 6 井上,中村昇,中川及び平田信のほか,らち計画について説明を受けたCHSの平田悟,高橋克也及び松本剛は,同月28日午前11時ころ,ワゴン車(デリカ)及び普通乗用自動車(ギャラン)に分乗して公証役場付近に到着し,しばらくして井田も合流し,らち計画について説明を受けた。
 その後,井上は,平田信にレーザー銃を操作させ,通行人にレーザーを照射してレーザー銃の効果を実験したが,目くらましの効果がないことが判明したため,らち計画を練り直すこととし,井上と中村昇が中心となり実行メンバー8名全員で話合いをした結果,假谷が公証役場から出てJR目黒駅に向かって歩いているところを襲うこととし,松本剛がワゴン車で假谷の進路を塞ぎ,中村昇,井田及び高橋克也の3人が後ろから假谷を抱き込むようにしてワゴン車内に押し込み,平田悟がワゴン車内から假谷を引っ張り込み,中川が假谷に麻酔薬を注射して眠らせること,その後,松本剛がそのままワゴン車を,平田信はギャランを運転して現場から逃走し,井上は現場指揮をとることなどのらちの方法と各自の役割分担が決められ,実行メンバー8名は,假谷が公証役場から出てくるのを待った。

 7 中村昇は,同日午後4時30分ころ,假谷が公証役場から1人で出てきたのを発見し,井田及び高橋克也と共に,JR目黒駅に歩いて向かう假谷に近づいた。
[罪となるべき事実第1(逮捕監禁致死)]
 被告人は,教団への出家を案じ身を隠した信徒仁科愛子の所在を聞き出すため,同人の実兄假谷清志(当時68歳)をらちすることを企て,井上,中川及び中村昇らと共謀の上,平成7年2月28日午後4時30分ころ,東京都品川区の路上において,同所を歩行中の假谷に対し,中村昇がその背後から假谷の身体に抱きついて転倒させ,大声で助けを求める同人の身体を井田及び高橋克也と共に抱えるなどして,同所付近に停車させていたワゴン車(デリカ)の後部座席に假谷を押し込むと同時に,同車内から平田悟が假谷の身体を引っ張り込むなどして假谷を逮捕した上,直ちに松本剛が同車を発進させて,假谷を自らの支配下に置き,同車内において,中川が假谷に全身麻酔薬を投与して意識喪失状態に陥らせ,その後飯田から電話で,仁科から出家を取りやめるとの連絡が入った旨知らされたものの,仁科の居場所が分からないままであったし,被告人から新たな指示がない限り自分たちの判断で勝手に假谷を解放することもできなかったことから,井上らにおいて,假谷を上九一色村の教団施設に連れていき仁科の居場所を聞き出すしかないと考えた上このまま計画を続行することとし,さらに,同日午後8時ころ,東京都世田谷区の芦花公園付近路上において,意識喪失状態のままの假谷の身体を中村昇らが別の普通乗用自動車(マークⅡ)に移し替えた上,高橋克也が同車を運転し中川及び平田悟がこれに乗車して假谷を上九一色村の教団施設まで運ぶこととし,同車内において,中川が假谷に全身麻酔薬を投与して意識喪失状態を継続させながら,同日午後10時ころ,山梨県西八代郡上九一色村の第2サティアンに同人を連れ込み,そのころから同年3月1日午前11時ころまでの間,同サティアン1階の瞑想室において,中川及び林郁夫が假谷に全身麻酔薬を投与して意識喪失状態を継続させるなどして假谷を同所から脱出不能な状態に置き,もって,同人を不法に逮捕監禁し,同日午前11時ころ,同所において,大量投与した全身麻酔薬の副作用である呼吸抑制,循環抑制等による心不全により同人を死亡させた。

[第2(死体損壊)の犯行に至る経緯]
 1 中川は,上記監禁中である同年2月28日午後10時ころ,第2サティアンに着いた後,第6サティアン3階に行き,林郁夫に対し,「尊師が『クリシュナナンダに手伝ってもらえ。』と言われたので,一緒にやってください。」と言ってナルコに協力するよう依頼した。林郁夫は,第2サティアンに行き,中川及び平田悟から假谷が同所に連れてこられた事情や状況,それまでの全身麻酔薬の投与状況等について説明を受けた後,医療器具等を用意し,同サティアン1階瞑想室で,假谷を診察した上,点滴を始めるなどしてその呼吸・循環等の管理に当たった。

 2 林郁夫は,同年3月1日午前3時ころ,井上から,仁科の居場所を聞き出すよう言われて中川と共に1階瞑想室で假谷にナルコを実施し,次いで井上自らも加わり再度假谷にナルコを実施したが,仁科の居場所を聞き出すことができなかった。井上と中村昇は,今後の假谷の処置について被告人の指示を仰ぐため,被告人のいる東京に向かったが,上九一色村に戻る被告人と行き違いになり,会えなかった。

 3 村井は,同日午前4時ころ,第2サティアンにきて,中川らから,假谷にナルコを実施した結果仁科の居場所を聞き出すことができなかったことや,頭部に電気刺激を与えて記憶を消すニューナルコでは,教団にらちされたという假谷の記憶を消すことができないことなどを聞いて,「そうか,帰せないかな。塩化カリウムでも打つか。」などと假谷を殺害する趣旨のことをほのめかし,さらに被告人は昼近くまで帰ってこないなどと言って帰っていった。

 4 その後,村井は,被告人に,中川らから聞いた話を報告し,今後の假谷の処置について指示を仰いだところ,被告人から,口封じのために假谷を殺害して従前と同様に証拠隠滅のためにその死体をマイクロ波焼却装置で焼却し,假谷の殺害に当たっては井田に假谷の首を絞めさせるという旨の指示を受けた。

 5 中川は,同日午前9時30分ころ,それまで假谷を意識喪失状態で管理していた林郁夫からその引き継ぎを受け,以後,第2サティアンの1階瞑想室で,假谷の意識喪失状態を保持したままその管理を続けた。
 その後,村井は,同日午前10時ころ,第2サティアンを訪れ,中川に,「やっぱりポア。井田に首を絞めさせろ。井田にポアさせることによって徳を積ませる。井田を今後ヴァジラヤーナで使うから。」などと言い,自分の言ったとおり假谷を殺害することになったという趣旨の発言をした上,塩化カリウムの注射ではなく,首を絞めることによって假谷を殺害し,しかも,井田を今後教団の違法行為に関与させるために,実行役を井田にさせる旨の指示をした。そこで,中川は,まだ都内にいた井上に電話をし,井田を連れてくるように頼んだ。
 中川は,その後も,假谷の様子をみていたが,部屋の外にいた平田悟に被告人からの指示内容を伝えるために1階瞑想室から出て假谷から目を離した同日午前11時ころ,前記のとおり,假谷は死亡した。
 井上及び中村昇は,中川からの依頼を受けて,そのころ,都内のファミリーレストランの駐車場で井田を乗せて上九一色村の教団施設に向かい,同日昼過ぎころ,第2サティアンに到着し,その際,中川から,假谷が死亡したことや被告人からの指示内容について聞いた。
 中川らは,被告人の指示に従い,井田に假谷の死亡を知らせないまま,既に死亡していた假谷の首を絞めさせた。その後,中川や中村昇らは,假谷の死体を焼却するためにこれをマイクロ波焼却装置のある第2サティアン地下室に移動した。

 6 その後,後記のとおり,假谷の死体がマイクロ波焼却装置のドラム缶の中に入れられ,その焼却が開始された後,井上,中川及び中村昇は,2,3日間を要する死体焼却の監視にだれが立ち会うかについて被告人に指示を仰ぐため,同日夕方ころ,第6サティアン1階の被告人の部屋に行った。すると,被告人は,それまでに飯田から「假谷さんが車で連れ去られたことで,大崎警察署からあなたがたは知らないかという電話が入りました。」などと報告を受けており,レーザー銃をうまく使わなかったために通行人に現場を目撃され警察に通報されてしまったと思い込んでいたことから,井上ら3人に対し,「なぜ,無理してやったんだ。警察が動いてるじゃないか。レーザーを使わなかったんだろう。」としっ責し,これに対し,井上が,「レーザーは実験しましたが,使えませんでした。」などと弁明した。その後,中川が,被告人に,假谷の死体の焼却にはだれが立ち会えばいいか尋ねると,被告人は,「おまえたちでやるしかないんじゃないか。」と言って,假谷のらちを実行した者で責任を持って遺体を処理するように指示した。

 7 そこで,井上や中川らは,中村昇,中川,井田及び高橋克也の4人が交替で假谷の死体の焼却作業の監視に当たることにした。

[罪となるべき事実第2(死体損壊)]
 被告人は,井上,中川及び中村昇らと共謀の上,同年3月1日ころから同月4日ころまでの間,第2サティアン地下室において,假谷の死体をマイクロ波加熱装置とドラム缶等を組み合わせた焼却装置(マイクロ波焼却装置)の中に入れ,これにマイクロ波を照射して加熱焼却し,もって,同人の死体を損壊した。

[弁護人の主張に対する当裁判所の判断]
 1(1) 弁護人は,假谷の死因は不明で特定することができず,少なくともチオペンタールナトリウムの過剰投与が原因でないことを明らかであるから,逮捕監禁行為と假谷の死亡との間に因果関係は認められないと主張する。
 (2) しかしながら,証拠によって認められる中川や林郁夫が假谷に全身麻酔薬を投与しその管理をした状況に係る事実関係や昭和大学医学部麻酔学教室の増田豊助教授及び林郁夫の各証言に係るその知見内容を総合すると,(ア) 一般的に,全身麻酔薬であるチオペンタールナトリウムを投与する場合には,被投与者がその副作用である呼吸抑制及び循環抑制による危険な状態に陥るのを予防するために,揺り動かせば応答する程度の不完全な覚せい状態までのみならず,完全に覚せいするまで被投与者の状態を管理し,完全に覚せいするまでのいつでも起こり得る呼吸抑制及び循環抑制の副作用に対し適切な処置をとらないと被投与者を死亡させる可能性があること,(イ) チオペンタールナトリウムの投与許容量は,一機会にせいぜい2gであるから,假谷に対するチオペンタールナトリウムの投与(約2.8gないし約3.4g)は過剰投与であり,假谷に対し,その副作用である呼吸抑制及び循環抑制に対する適切な処置をしなければ,危険な状態を招くおそれがあったこと,(ウ) 假谷は,平成7年3月1日午前11時ころの時点において,意識喪失状態にあり,麻酔状態が遷延し,呼吸抑制及び循環抑制の状態にあったこと,(エ) それゆえに,假谷は,①呼吸中枢が抑制されて呼吸が停止した,②エアウェイの装着が不完全であり,舌根沈下により気道が閉塞した,③合わないエアウェイの装着を契機として,呼吸抑制に起因する喉頭けいれんを誘発し,声帯が閉塞し呼吸ができない状態になった,④循環中枢が抑制され心停止に至った,⑤循環抑制により心筋そのものに抑制作用が働くなどして心停止に至った,⑥循環抑制が呼吸抑制を引き起こし呼吸が停止した,以上の①ないし⑥の機序のいずれか又はその複合により心不全に陥り死亡したことが認められる。
 したがって,假谷が死に至った具体的な過程は必ずしも特定することはできないものの,いずれにしても,假谷は,大量の全身麻酔薬を投与され呼吸抑制及び循環抑制の状態に陥り,それが原因で心不全により死亡したと認められるから,假谷を監禁するための手段である全身麻酔薬の投与と假谷の死亡との間に因果関係があることは明らかである。この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

 2(1) 弁護人は,被告人は,井上らに対し,假谷のらちやその死体の焼却を指示したことはないと主張する。
 (2) そこで判断すると,井上は,被告人が假谷をらちしナルコを実施して仁科の居場所を聞き出すように井上らに指示した際の状況やだれがその死体焼却に立ち会うかについて井上らが被告人の指示を仰いだ際の状況について,前記第1の犯行に至る経緯4及び第2の犯行に至る経緯6の各事実に沿う証言をし,中村昇は,捜査段階において検察官に対し,文脈から被告人を指すことが明らかな「最高幹部」という言葉を使い,「最高幹部」から假谷のらち等や死体焼却に関して指示があった旨の供述をし,中川は,前記第2の犯行に至る経緯6の事実に沿う証言をしている。
 (3) 井上証言は,被告人が假谷のらちやその死体の焼却に関して指示したことについて,中村昇供述や中川証言とよく合致し,相互にその信用性を補強している上,そこで述べられている内容についてみても,これまで違法行為に関与したことのない教団信者のいるところで「ポア」という言葉を使ったことについて弟子から注意されて「らち」と言い換え,さらに「ほかしておこうか。」とぼやくに至ったくだりは,被告人が仁科を放っておこうという趣旨のことを言いながらその直後別室で仁科の実兄をらちして仁科の居場所を聞き出すよう指示した経緯をよく説明し得ているし,假谷らちの現場を目撃され警察が動き出している旨の報告を既に受けていた被告人が,レーザー銃の使用に関して井上と交わした一連の会話の内容も相応の具体性と現実性を有するなど,その前後における事態の推移ともよく符合し自然で合理的である。また,教団においては,平成7年1月1日以来,教団施設に対する強制捜査は相当の関心事となっていたものであり,出家を約束した資産家の教団信者が教団から布施を強要されるあまり所在不明となっていた状況で,その信者の実兄をらちした場合,同人がその前日にはボディガードらしき人物を付けるなど教団の違法行為に対して警戒をしていたふしがあることなどを併せ考慮すると,まずもって警察から疑われるのは教団であり,ひいては,教団施設が強制捜査を受けることにもなりかねず,このような教団の存続にも影響を及ぼしかねない行為を,弟子たちが教団の代表者であり弟子たちのグルでもある被告人に無断で計画し実行するとは到底考え難い。さらに,井上は,かつてのグルである被告人に対する気持ちの整理をした上で被告人の事件への関与を明らかにしようという思いで被告人の面前で証言し,しかも,被告人に対する信仰心に特に変化はないと公判で明言する中村昇が,捜査段階において,最高幹部という言葉を用いながらではあるが被告人から假谷のらちやその死体の焼却に関して指示があったことについて井上証言と合致する供述をしていることに照らすと,井上が,自己の刑事責任を軽減するために無実の被告人を引き込もうとして被告人に不利益なうその供述をしたとは認められない。

 これらの点に照らすと,井上証言,中村昇供述及び中川証言の信用性は高く,これらの証言や供述をはじめ関係証拠を総合すれば,被告人が井上らに対し,假谷のらち等やその死体焼却の指示をしたことは明らかである。この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

[参考]
オウム事件:平田容疑者逮捕(その1) 大みそか「平田です」 緊迫、未明の逮捕 毎日新聞 2012年1月3日 東京朝刊

◇「迷惑かかる」潜伏先語らず

 大みそか、東京・皇居近くの警察署に突然現れた元オウム真理教幹部、平田信容疑者(46)。「平田信です。出頭してきました」と署員に告げ、17年近くに及んだ逃亡生活に終止符を打った。全国の警察や社会の「目」をどうくぐり抜けたのか。なぜ、今になって姿を現したのか。平田容疑者は1日未明に逮捕され、「一区切りつけたかった」と供述したものの、「人に迷惑がかかる」と潜伏先については供述を拒んでいるという。劇的な出頭・逮捕で、教団の闇はどこまで明らかになるのか。

 平田容疑者が出頭した丸の内署には1日未明、次々に捜査員が集まった。午前3時ごろには、普段は制服姿の署幹部が無言で署内を行き来するなど緊迫。さらに約1時間後、捜査1課幹部が、同署前に集まっていた数十人の報道陣に「後で(取材)対応するから」とだけ言い残し、慌ただしく車で走り去った。

 平田容疑者のこざっぱりした服装を見た捜査幹部は「路上生活をしていたとはとても思えない」と漏らした。「ひと目見て、平田だと思った」と衝撃も受けたという。平田容疑者は「いろんな所に支障が出たら困る」と、17年近く何をしていたのかを語ろうとしないといい、その足取りは謎のままだ。

 捜査関係者によると、平田容疑者は地下鉄サリン事件や警察庁長官狙撃事件が発生した95年3月ごろ、教団幹部から「逃走資金」として数百万円を受け取ったとみられているが、足取りが把握されているのは96年2月までだ。

 地下鉄サリン事件直後の95年3月27日、東京都内で運転免許証と旅券の更新手続きを行い、三重県へ。再上京した4月4日、免許証などを受け取ると、同13日にはフェリーで徳島市の教団信者宅に向かった。このころ、事件に関係するガスマスクなどの証拠物を北関東の山中に捨てたとみられている。

 同年8月には名古屋市内で当時逃亡していた林泰男死刑囚(54)と会ったとされる。教団の東京総本部や山梨県上九一色村(当時)の施設も訪れていたようで、ある教団幹部には「バーテンをやるか、山の中の陶芸をやるところに入り込めば逃げられる。札幌に行けば、昔の仲間がいるのでなんとかなる」などと語ったという。

 同年5月の指名手配後、逃走を支えたとみられるのが、教団看護婦だった女性信者(49)だ。この女性が96年2月までの3カ月間働いていた仙台市内の料理店の従業員寮のアパートには、一緒に暮らしていたとみられる形跡があったが、2人の足取りはこの後、途絶えた。

 警察当局は95年9月には特別手配をするとともに、北海道に住んでいる両親の家に立ち寄らないかを警戒。しかし、平田容疑者が捜査員の前に姿を現すことはなく、両親も昨年までに亡くなった。父親は生前、関与が取りざたされた警察庁長官狙撃事件について、平田容疑者から「俺は犯人じゃない」と電話で伝えられたといい、捜査員には「息子は犯人じゃない」と繰り返していたという。

 そして迎えた突然の出頭。警視庁によると、平田容疑者は、仮谷清志さん拉致事件について「車を運転しただけ」と触れる一方、出頭した経緯は「一区切り付けたかった」と供述するだけだという。弁護士を通じたコメントでは「国松長官事件が時効になって、間違った逮捕があり得なくなった。教祖の死刑執行は当然と考えている」としたが、真意ははっきりしない。

 出頭はしたものの、17年近い逃走経緯や支援者がいたのかは明らかにならないまま。捜査幹部は「出頭は、捜査をかく乱し、教祖の死刑執行停止狙いとみるのが自然」と指摘した。【内橋寿明、村上尊一】

 ◇射撃で国体出場 松本死刑囚警護も

 平田信容疑者は、射撃の腕前や一部の教団幹部の供述から、一時は国松孝次・警察庁長官狙撃事件(95年3月30日)への関与も取りざたされた。

 中高は札幌市内の私立学校に通った。学校関係者によると、温厚でおとなしい性格だったという。札幌商科大(現・札幌学院大)を卒業後にいったんは就職したが、87年8月、教団に出家。「車両省」に所属し、空手が得意だったため、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(56)のボディーガードも務めた。

 高校の射撃部でエアピストルの国体少年の部で11位になり、94年ごろにはロシアでの実弾射撃訓練に参加した経験も持つ。長官狙撃事件への関与が一部週刊誌に報道されたが、平田容疑者を知る信者は捜査員に「気が小さく、人殺しなんてできる人間ではない」と話したという。

 ◇最初は本庁出頭、機動隊員「いたずら」と判断 「丸の内署へ」指示

 平田信容疑者は当初、警視庁本部庁舎(東京都千代田区霞が関)に出頭しようとしたが、玄関前にいた30代の機動隊員が「悪質ないたずら」と判断し、身柄の確保などの対応をとらなかったことが分かった。警視庁警備部幹部は「事実関係を確認したうえで、今後の対応を検討する」としている。

 幹部によると、平田容疑者は12月31日午後11時35分ごろ、本部庁舎前に1人で現れ、警戒していた機動隊員に「平田信です。出頭してきました」と話しかけた。しかし、この隊員は、髪形や顔の肉づきなどが手配写真と異なる印象を受け、悪質ないたずらと判断。丸の内署の方向を示して「あちらに警察署があるので」と伝えた。

 平田容疑者は「特別手配の平田ですが」などとも話したが、隊員は無線で指示を仰ぐこともせず、再度、丸の内署に向かうよう指示。平田容疑者は「分かりました」と従い、同署の方向に1人で歩いていき、午後11時50分ごろに出頭した。

 ◇叔父、出頭に「ひと安心」

 平田容疑者は札幌市出身で、公務員だった父親は数年前に死去。母親はその後、平田容疑者の叔父に当たる自身の弟が住む北海道帯広市に移ったが、昨年7月下旬に76歳で病死した。叔父は1日夜、取材に対し「母親は連絡のない一人っ子の息子を待っていた。会いたかったと思う」と心情を思いやった。

 近所の知人らによると、母親が転居したのは3、4年前。叔父宅近くの一軒家で1人暮らししていた。町内会の集まりに参加するなど元気な様子だったが、息子がいることは周囲に話さなかったという。近所の女性は「亡くなった後に行方不明の息子がいるとうわさで聞いた。帰った時のために貯金もしていたようだ」と話した。

 平田容疑者について叔父は、札幌近郊の大学に通っていた20年以上前に会ったきりという。普通の学生だったが、入信後は連絡が途絶えた。「出頭を望んでいたのでひと安心している」と語った。【小川祐希】

==============

 ◇平田信容疑者とオウム真理教を巡る経緯

 <87年>

 8月ごろ  平田信容疑者が教団に出家

 <89年>

11月 4日 坂本堤弁護士一家殺害事件

 <95年>

 2月28日 仮谷清志さん拉致監禁致死事件

 3月19日 杉並区マンション時限式爆発物事件

 3月20日 地下鉄サリン事件

 3月22日 警視庁などが教団施設を一斉捜索

 3月27日 平田容疑者が東京都内で運転免許を更新

 3月30日 国松孝次警察庁長官狙撃事件

 5月16日 松本智津夫死刑囚を逮捕

 5月31日 時限式爆発物事件で平田容疑者を指名手配

 8月ごろ  平田容疑者が名古屋市内で林泰男死刑囚と接触

 8月14日 仮谷さん事件で平田容疑者を指名手配

 9月14日 二つの事件で警察庁が平田容疑者を特別手配

11月ごろ  女性信者と仙台市内で生活開始(96年2月ごろまで)

<04年>

 2月27日 東京地裁が松本死刑囚に死刑判決

<06年>

 9月15日 最高裁が松本死刑囚の特別抗告を棄却。死刑が確定

<10年>

 3月30日 国松長官狙撃事件の公訴時効が成立。警視庁は「教団による組織的テロ」との捜査結果を公表

<11年>

11月21日 最高裁が遠藤誠一死刑囚の上告を棄却し、一連のオウム裁判が事実上終結

12月12日 最高裁が遠藤死刑囚の判決訂正の申し立てを棄却、起訴された189人全員の判決が確定

12月31日 平田容疑者が警視庁丸の内署に出頭

<12年>

 1月 1日 警視庁が平田容疑者を逮捕監禁致死容疑で逮捕

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1989~ オウム真理教=アレフ=アーレフ」カテゴリの記事

コメント

紀藤先生お疲れさまです。時々ツィッターも見ています。
最近、平田信容疑者の公判で、オウムの元教団幹部が証人尋問されているのですね。新聞で、オウム用語 のポアとかグルとかイニシエーションなど読んで、気持ち悪くなりました。たまたま、カゼで寝込んでいたとき、久々にワイドショーのテレビをつけたら紀藤先生の生コメントが、、、
安愚楽とかその他の詐欺にひっかかって、大きくなったのは将来への不安、失ったものはお金と毎日の生活のぜいたく、将来への夢とか希望?とかですが、、、オウムに入っていたらお金だけでなくポアされていたかもしれないと思いました。逃亡を助けたりして、犯罪にも巻き込まれてしまっていたかも。
麻酔剤を大量投与した上に、死体の焼却、、、坂本弁護士一家殺人事件や、松本サリン、地下鉄サリン事件など、、当時の報道をよく見てたことを思いだしました。
この裁判の経過を見守りたいと思います。
それにしても、今回、目黒公証役場事務長拉致事件の経過を読んでいて、6000万のうち、、、4000万は手渡し、、というところを読んで、形はちがっても、お布施という振り込め詐欺みたいなものですね。このところは、わたしも額は少ないですが、経験あるのでなぜ、手渡しで?とか疑問に思う人もいると思いますが、、出家も考えるほど洗脳されつつあったわけですから、笑えないです。本当にオウムって恐ろしいなと思いました。

まだ寒い日が続きます、いつも多忙で仕事好きな紀藤先生、ご自愛ください。

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