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2015.05.25

今日2015年5月25日は、最後の東京大空襲(山の手大空襲)から70年=表参道・山陽堂書店の経験と記憶は後世に受け継がれるべきものだと考えます!

戦争下において、兵士間の戦闘行為は、許容されるほかありませんが、その範囲を超え、まったく不必要と思える、無抵抗な子どもを含めた民間人に対する、広島長崎への原爆投下、そして「空襲」は、誰が見ても、「集団虐殺」というほかないものです。

人道に対する罪」であり、戦争犯罪です。

第二次大戦下であり、また売られた戦争とは言え、戦争犯罪を犯した米国は、十分その意味をかみしめるべきだろうと思います。

もちろん「侵略戦争」をした日本も同様ですが、米国も、十分に、自国の歴史と責任を検証し、反省し、日本の国民に対し、謝罪すべきだろうと思います。

現在でも、他国の戦争下、「空襲」は、「空爆」と名前を変えて報道されるなどしていますが、「空爆」が、民間人に対する集団虐殺化していないか、常に慎重な目が、日本人にも必要です。

あまりに貴重で、今も山陽堂書店、そして特に、店主の遠山秀子さんの伯母で、当日の店番だった清水浜子さん(92)の経験と記憶は、後世に残すべきインタビュー記事として、歴史的遺産だと思いますので、あえて今日付けの朝日新聞の記事を、アップさせていただきます。清水さん、もっともっと長生きをしてください。

そして今、平和の中にいる私たちも、山陽堂書店の経験と記憶を、後世に受け継いでいかなければなりません。

「邪悪な勢力が勝利を収めるためには、何も行動を起こさない善良な人々がそれなりにいるだけでよい」(国連での「エマワトソンのスピーチ」より)

―そうならないためにも・・・


[参考]

山陽堂書店

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⇒PDF版http://sanyodo-shoten.co.jp/pdf/70_sanyodo_dayori.pdf


表参道、生死を分けた書店 山の手大空襲伝え続け70年:朝日新聞デジタル=2015年5月25日08時49分

 東京・表参道。流行の発信地として知られるこの付近は70年前の5月25日、2万人以上が死傷した「山の手大空襲」で、一夜にして焼け野原になった。当時多くの人が逃げ込んだ書店は、その記憶を絶やすまいと、いまも街角に立つ。

 1891年創業の「山陽堂書店」。表参道と青山通りの交差点にあり、4代目の遠山秀子さん(55)が営む。20平方メートルほどの1階には、女性誌や旅行ガイド本のほか、「表参道が燃えた日」など空襲関連の本が並ぶ。2階では6月5日まで、戦前や戦中の周辺の写真などを展示している。

 書店は空襲の夜も、今と同じ場所にあった。北西に明治神宮、東に青山霊園。安全とされた2カ所の間だ。逃げ惑う人たちが店の前を往来し、住居を兼ねた鉄筋3階建ての書店に、多くの人が逃げ込んだ。

 遠山さんの伯母で、当日の店番だった清水浜子さん(92)は1階にいた。焼夷(しょうい)弾の音が聞こえる。得意先から預かった品々を守ろうと、父や弟と、地下室につながる入り口を街路樹の土で固めた。

 それが逃げ遅れにつながる。霊園に行こうと外へ出たが、煙で前が見えない。熱風や火の粉が、目元までかぶった防空頭巾の隙間から入り込んでくる。手をつないでいた父とは、いつの間にかはぐれていた。

 なんとか隣の染物屋に入った。直後に「バリバリ」。裏手に炎が見える。ここもすぐ焼ける。逃げなくちゃ。その場にいたお年寄りの女性2人に声をかけた。「私たちはもう、いいから」。何もできず、外へ出た。

 何も見えない。立ちすくむ。死ぬんだ。せめて家に帰って死のう。だが、店に入ろうとすると「いっぱいだ」と断られた。「私のうちだから」。声を荒らげ、鉄のドアを開ける。100人ほどが肩を寄せ合っていた。

 商品の雑誌を踏み、台をつたって2階へ。父も弟もそこにいた。窓から外を見る。「火の玉」が転げ回っていた。そばには布が見える。人、だった。1階からはうなるような「水、水」の声。地下室の井戸から何度もくみ上げられた。

 翌朝。向かいの銀行の前に、2~3メートルほど遺体が積み上げられていた。スコップでトラックに乗せられていく。言葉にできるのは「私は生きてる」。それだけだった――。

 65歳まで店で働き、今は西東京市に暮らす。「もっと詰めましょうと、あのとき誰かが言えれば」と悔やむ。5年前から視界がゆがむ。空襲の記憶もぽつぽつと抜け落ちていく。それでも、8月15日の空が晴れ渡っていたことを覚えている。ラジオで聞いた終戦の報には、悔しさよりも安堵(あんど)の気持ちを強く感じたことも。「生きてこられて幸せ」。不戦を貫いてきた日本を「ありがたい」と思う。

 光さす マットの上で 目を閉じて

 体動かす 生きる喜び

 週2回通うデイサービス施設に最近、そんな短歌を投稿した。

 本が売れない時代。でも、清水さんは思う。「これからも、(店を)残していく必要があるのかもしれませんね」

 遠山さんは幼いころから、清水さんの戦争体験を何度も聞かされてきた。

 「自分の店、というよりも、思いのつまった、家族と地域の店なんです」

 今でも、当時の店を知る客が訪ねてきたり連絡してきたりする。「姉が助けられた」「私が最後に入った」。感謝を伝えられる度、店を残し、記憶を継がなくてはと思う。

 一方、美談にしてはいけないとも。ある高齢男性から、3年ほど前に電話でこう伝えられた。「夜明けごろ、店の前で人が重なっていたのを見たんです」。入りきれず亡くなった人もいることを、忘れてはいけないと感じている。

 「この店で紙一重で生死が分かれたことを、できる範囲で伝えていきたい」(藤原学思)

◇〈山の手大空襲〉 1945年5月25日夜から翌26日未明の約2時間、米軍爆撃機B29が東京・山の手地域を対象に行った爆撃。空襲警報は25日午後10時22分に発令され、26日午前1時に解除された。当時の渋谷区や赤坂区などが標的になり、明治宮殿も焼失。「東京空襲の総仕上げ」とされる。

 「東京大空襲・戦災誌」に記載されている帝都防空本部情報によると、死者は約3600人、負傷者は約1万7900人に上った。投下された焼夷弾は計3258トンで、10万人以上が亡くなったとされる3月10日の2倍近くに及んだ。


6月4日(木) 『青山に空襲があった-街角の書店から-』 上映会(25分/2015年) =2015年5月19日 更新

語り 清水 浜子 聞き手・考証 山本 唯人

企画・製作 東京大空襲・戦災資料センター 東京大空襲証言映像プロジェクト ㈲記録同人

山陽堂書店は、青山という街、また街に住み、街を行き交う人々とともに120年余り年を重ねてきました。

その間、青山表参道周辺は明治神宮創建・関東大震災・戦争.・東京オリンピック・バブル・バブル崩壊という時代の流れのなかで姿を変えてきました。

中でも1945年5月25日の山の手空襲は、青山一帯を焼け野原にし、青山から離れる人も多かったようです。


6月4日に山陽堂のギャラリーで『青山に空襲があった-街角の書店から-』上映会を開催します。

インタビューを受けているのは、山陽堂三代目の姉、清水濱子(大正12年生)です。

青山に生まれ育ち、結婚後も山陽堂で65歳まで働いていました。

この度、清水濱子の証言を東京大空襲・戦災資料センターの方々が映像にしてくださいました。

みなさまのお申込みをお待ちしております。 

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作品紹介


山陽堂書店の娘として大正12年に生まれた清水浜子さんの空襲体験を、東京大空襲・

戦災資料センターが収録し、映像作品になりました。

このたび、作品の舞台である

ギャラリー山陽堂にて初公開いたします。静かなお屋敷町だった戦前の青山に生まれ、

参道交差点から町の変遷を見つめて成長した浜子さん。彼女の眼にうつった風景

とはどのようなものだったのでしょうか。そして、山の手空襲をへて、町はどう変わ

っていったのでしょうか。変わりゆく表参道にたたずむ記憶の貯蔵庫・山陽堂がくり

ひろげる風景散歩。浜子さんの語りが、見慣れた街並みにある、見えない歴史をよび

おこしていきます。

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《上映会と解説》

6月4日(木)19:00~20:30 

上映時間 約25分

解説 東京大空襲・戦災資料センター主任研究員 山本 唯人

◇場所 ギャラリー山陽堂2F

◇参加費:1500円

◇定員15名

◇トークイベントお申込方法:

店頭・下記問い合わせメール・電話・ファックス

電話:03-3401-1309

ファックス:03-3401-1358

mail: info@sanyodo-shoten.co.jp

*必要経費を除いた参加費は、『東京大空襲・戦災資料センター』に寄付させていただきます。

2015.05.24

備忘録>福島原発事故当時の東京電力社長の清水正孝氏は、現在、東証一部上場企業の富士石油の社外取締役

福島原発事故当時の東京電力社長の清水正孝氏は、

現在は、東証一部上場企業(5017)

富士石油株式会社 (Fuji Oil Company, Ltd.)の社外取締役

[参考]⇒会社概要|会社情報|富士石油

62e1f361


2015.05.22

依頼者から受け取った手紙を内容確認せずに相手方に渡す弁護士の問題性

僕はしませんが、内容確認せず、依頼者から受け取った手紙を、そのまま相手方に手紙を渡す―こういうことする弁護士は結構います。

刑事事件ではありませんが、ごく最近、相手方からの未開封の手紙を弁護士から受け取りました。その手紙を依頼者の前で開封して内容を確認しました。

こういう弁護活動は、内容次第では、やっぱりまずいということですから、弁護士は、最初から、すべての案件について、やらない方がいいですね。

特に経験の浅い、若い弁護士(もう若くない人もいますが・・)は要注意です。


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清水啓右弁護士(29)=業務停止1カ月の懲戒処分=は、昨年5月、傷害罪で起訴された被告から被害者と示談交渉したいと依頼されて手紙3通を預かり、内容を確認しないまま郵送。手紙には「被害届を取り下げなければ絶対に許さない。周囲の者が家に押し寄せる」などと書かれ、被告は今年3月、傷害と証人威迫の罪で懲役3年の実刑判決を受け確定


[参考]
担当の被告が被害者を脅迫 札幌の弁護士を懲戒処分 - 産経ニュース=2015.5.21 22:11更新

 札幌弁護士会は21日、国選弁護人を務めた傷害事件の被告が被害者を脅す手紙を送り、証人威迫罪でも被告が有罪判決を受けたとして、同会所属の清水啓右弁護士(29)を業務停止1カ月の懲戒処分にした。

 弁護士会などによると、清水弁護士は昨年5月、傷害罪で起訴された被告から被害者と示談交渉したいと依頼されて手紙3通を預かり、内容を確認しないまま郵送。手紙には「被害届を取り下げなければ絶対に許さない。周囲の者が家に押し寄せる」などと書かれ、被告は今年3月、傷害と証人威迫の罪で懲役3年の実刑判決を受け、確定した。

 清水弁護士も証人威迫容疑で在宅のまま札幌地検の捜査を受けたが、昨年7月に嫌疑不十分で不起訴処分になった。記者会見した札幌弁護士会の太田賢二会長は「刑事弁護人として被害者に不安を与えたことは大変遺憾」と陳謝した。


弁護士通じ被害届取り下げ迫る 証人威迫罪などで懲役3年 札幌地裁 - 産経ニュース=2015.3.16 16:13 更新

 自分の弁護士を通じて傷害事件の被害者を脅したとして、証人威迫と傷害の罪に問われた札幌市の無職、及川雄介被告(33)に札幌地裁は16日、懲役3年(求刑懲役4年)の判決を言い渡した。

 判決理由で多々良周作裁判官は「自己保身を優先して刑事責任を免れようと、被害届の取り下げを求める書面を執拗に送りつけた。他人を侮り、刑事司法をも侮る被告の態度は強い非難に値する」と指摘した。

 一方、証人威迫罪について「弁護士が職責に照らして当然の活動をすれば起こり得なかった面があり、被告の責任は軽くするべきだ」と述べた。

 判決によると、及川被告は昨年3月の傷害事件で起訴された後の同5月、被害者の男性と妻に「被害届を取り下げなければ絶対に許さない」などと書いた手紙を弁護士に郵送させた。

 弁護士は、札幌地検が昨年7月に嫌疑不十分で不起訴処分にした。

2015.05.21

知識と教養>皇宮警察本部-IMPERIAL GUARD HEADQUARTERS-

皇宮警察のホームページは、警察庁のホームページの中にあります。

皇宮警察のホームページによると、
「皇宮警察本部は、天皇皇后両陛下や皇族各殿下の護衛と皇居、御所、御用邸などの警備を専門に行う警察です。職員は、皇宮護衛官、警察庁事務官及び警察庁技官で構成され、身分はいずれも国家公務員です。皇宮警察本部は、明治19年 (1886年) 、 宮内省に皇宮警察署として誕生しました。その後、幾多の組織的な変遷を経て、昭和29年 (1954年) 新警察法制定に伴い警察庁の附属機関となり、「皇宮警察本部」 と改称されて現在にいたっています。 創立以来、皇室守護を目的とした国家機関で、大きな使命と伝統を持つ機関です。」
だそうです。

英語名は、「IMPERIAL GUARD HEADQUARTERS」

組織図等

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[参考]

皇宮警察本部-IMPERIAL GUARD HEADQUARTERS-

2015.05.20

備忘録=飛蚊症(ひぶんしょう)とは?>日本眼科学会:目の病気 飛蚊症

「飛蚊症は、多くの場合は加齢に伴う生理的なものであり、心配する必要はありません。しかし、その一部は治療を必要とする重篤な病気の前触れであることがあります。」

出展:日本眼科学会:目の病気 飛蚊症

«日本のテロへの備えの甘さが浮かび上がる「ドローン事件」の真相=容疑者のブログ「ゲリラブログ参」に一部始終が掲載されていた!

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